旭川の大きな祭典・・・上川神社のお祭り
このお祭りに前後して市内の小・中学校は夏休みになり、
かってのわが家では短い夏が始まったものだ!!
子供たちが幼い頃、宮下の近くに住んでいたことがあったので
このお祭りは夫の父母もとても楽しみにしていた。
旭川のまち作りに力を尽くされた先人達は、明治26年7月上川地方開拓守護・旭川の鎮守として、義経台と呼ばれた現在の旭川 駅付近の高台(現在の宮下通4丁目から7丁目)に天照皇大御神をお祀りしました。
鉄道の設置やまちの発展にともない、明治31年に神社を6・7条通8丁目に、同35年宮下通21丁目にお移しし、その後、御祭神に大己貴大神・少彦名大神を 大正13年6月6日神々が鎮まる適地として、かつて上川離宮建設が決定された神楽岡に神社をお移ししました。 インターネットより
鉄道の設置やまちの発展にともない、明治31年に神社を6・7条通8丁目に、同35年宮下通21丁目にお移しし、その後、御祭神に大己貴大神・少彦名大神を 大正13年6月6日神々が鎮まる適地として、かつて上川離宮建設が決定された神楽岡に神社をお移ししました。 インターネットより
現在上川神社は、旭川市内を望む丘、「神楽岡」に鎮座しています。
神社を含む神楽岡公園は、開拓以前の原初の森の姿を保ち、面積は約44.5haと
同規模の都市として市街中心部にこれだけの森林が残されているところは なかなかありません。
この「神楽岡」という地はかつては、天皇陛下のお住まいの皇居以外の宮殿である
この「神楽岡」という地はかつては、天皇陛下のお住まいの皇居以外の宮殿である
「離宮」の建設計画があった場所でした。 インターネットより
孫たちが学齢期に入る前露店を楽しみに
娘と孫と出かけたものだが、みんなそれぞれに忙しく連絡なし。
{それでは・・}と一人でカメラを持って露店が立ち並ぶ
15丁目界隈をを回ってみた。
夜はかなりの人出になるのだが、昼は店の人たちものんびりとした表情。
祭りの前の静けさか?・・・・・・